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熊本地震ラップポン設置応援レポート
2016.05.18 18:00 カテゴリー: お知らせ

まず、この度の熊本地震により、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。また、一日も早い被災地の復興をお祈り申し上げます。

弊社が取り扱っている日本セイフティー株式会社さんの自動ラップ式トイレ「ラップポン」。今回、災害医療ACT研究所の要望と日本財団の支援により約500台が熊本地震被災地に配備されることになりました。その設置作業の応援のため、去った4/27、4泊5日の予定で弊社防災担当2名、熊本へ向かいました。
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支援プロジェクトの詳細はこちら

日本セイフティー株式会社自動ラップ式トイレ「ラップポン」の詳細はこちら

 

以下レポートです。(長文ですのでお時間のある方どうぞ)

4/27(水)15:30 熊本空港へ向けて那覇を発つ
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再開間もない熊本空港上空、かなりの家屋にブルーシートが掛けられており、被害が広範囲に渡っている事が分かる。

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熊本空港到着、空港内はまだ立ち入り禁止の区域も残っており、降り立った人々は多くが災害支援関係者やボランティアの方達だった。

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CIMG5210この日の宿泊地、南阿蘇に向かう車中からも地面の亀裂や隆起などが多く見られ、通行止めになった国道を避けて迂回路を進む。DSCN0857
時折、メディアの取材現場にも出会う。車中のラジオは行政からの公営住宅の無償提供の戸数と抽選の日時、生命保険や地震保険の簡易手続きのお知らせや問合せ先などの被災者に向けた情報。それに混じってまだ続く余震の震度情報などが絶え間なく流れてくる。

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18:30頃、ようやく宿泊地に到着。駐車場は自衛隊やDMAT、消防関係など災害支援関係の車両が並ぶ。ナンバーからも全国各地の支援が集結していることが伺えた。ちなみにこのホテルも外観から被害はなさそうに思えたが、レストランの一部が床のひび割れで立ち入り禁止になっていた。

 

明けて翌日4/28~5/1まで、被災地の避難所や福祉避難所、老人介護施設などを巡り、ラップポンの設置応援作業が始まった。合志市内にある業者の倉庫にはラップポン本体やアーム、テント、ダンビーなどが順次入荷し、出荷を待っていた。この日までに約200台のラップポンが各施設へ設置を終えていた。
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熊本各地にある避難所や福祉施設がラップポンの設置箇所となる、そのため数チーム分かれて車で移動を繰り返す。その道中、私たちは益城町をはじめとする最も被害の大きかった地域を行き来し、改めてその被害の甚大さと活断層型地震の破壊力の凄まじさを何度も目撃することになる。
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一階部分のピロティーが完全に潰れてしまったビル。熊本市東区

益城町の家屋被害は特に甚大で、4/30現在で全壊が1026棟、半壊・一部破損が4374棟と町内全体の約半数の家屋が被災。
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地震後、倒壊の危険性などを判定する応急危険度判定の紙。赤は「危険」黄色は「要注意」、益城町の至る所でこの紙を張られた家を見かける。

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テレビのニュースなど映像では見ていたが、実際に自分の目で見るのは違う。言葉も出ないくらいの惨状。地面の下から大きなハンマーで打たれたような感じだ。しかもその被害範囲が予想以上に広い。熊本市近郊を何十キロも車で移動したはずなのに被害を受けた家屋が点在し続ける。「もし、これが沖縄で起こったら・・・」そう何度も考える。

 

16日の震度7の本震から10日以上経っても、避難所で生活する被災者の方がこの当時約3万3000千人以上(車中泊者数は不明)いたと記憶しているが、それらの避難所や福祉施設などを訪問し、ラップポンを設置する作業が続いた。
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避難所に指定されているのは、多くが総合体育館や小学校だった。

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避難所の外には仮設トイレが設置され清掃が行われているところだったが、少し離れたこちらまでやはり臭いは流れて来る。また、仮設トイレは和式が多くお年寄りにはつらい。

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施設には全国から寄せられた支援物資が積まれている。被災から約10日経っており、当初混乱を極めたという支援物資の分配もこの頃には一定落ち着いていたように感じた。

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この避難所では、駐車場で自衛隊によるお風呂「熊の湯」が設営されていた。

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この当時、まだ断水が続く箇所は14000戸以上。多くの避難所施設内のトイレは下水管がまだ復旧していないため、ビニールをかぶせるタイプの簡易トイレが使用されていた。外に設置されている仮設トイレまでは距離があるため、お年寄りや障害を持っている方のためにも建物内にもトイレは必要。
ただ幸いなことに、このときはすでに電気が復旧しておりほとんどの避難所で灯かりは点いていた。電気は3早いところで日ほどで復旧したという。

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設置されたラップポン(写真はラップポンキュート)。水を使わず臭いも菌も漏れないため施設内が悪臭で発生することも無い。また、軽くコンパクトなので室内に設置することが可能、お年寄りなどの居住スペースに隣接してトイレを設置することで避難所生活の様々なストレスを減らすことが出来る。
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こちらでは施設内の通路に女性の更衣室用として「ダンビー」を設置。このダンボール個室「ダンビー」は、ラップポン用の個室であるが「更衣室」「授乳室」としての機能も兼ねており、今回多数の避難所で問題となっていた「女性が安心して着替えたり授乳できる部屋が無い」という問題を解消する重要な役割を果たすこととなった。中からカギが掛けられるのも特徴だ。

今回の支援チームの活動拠点となった菊池郡大津町の施設、民家のような1戸建てに日本セイフティーのチームと災害医療ACT研究所の医療チームの10数人が情報収集から会議、寝泊りをここで行っていた。
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早朝、その日設置予定のラップポンを積み込む日本セイフティーの社員の皆さん。長い人はすでに1週間以上ここ熊本で設置支援活動を続けている。疲労が溜まっているであろうが、それを感じさせない働きぶりに頭が下がる。

 

その後も避難所や福祉避難所、主だった介護施設などを訪問し設置と操作方法の説明を続ける。
DSCN0901 熊本市西区の介護施設、ラップポンの使用方法の説明を受ける職員の方たち。多くの職員が自らも被災者でありながら不眠不休で施設の運営やお年寄りの介護にあたっていた。ラップポンの設置で衛生面の問題や職員の人手不足の問題が少しでも緩和されることを期待したい。DSCN0938DSCN0958
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熊本市中央区の避難所。設置された更衣室を興味深そうに見る女性。この避難所ではこれまで舞台幕の後ろで着替えていたとか。嬉しそうに「意外と広い。有難う」と言ってもらえたのが印象に残った。

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この頃から避難所で「ノロウィルス」の発症が確認され、衛生面の管理が問題になっていた。こちらの益城町の老人介護施設ではまだ水道が復旧しておらず、感染症対策に苦労しているようだった。施設内の出入口に手洗い用の水と除菌剤を置き、各部屋ごとにビニールで間仕切りをし、部屋の往来も厳重に管理していた。水の要らないラップポンがお役に立ちますように・・・。

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益城町内広安小学校のグラウンド。校舎内は各教室が宿泊所となり、運動場は車中泊なのかぎっしりと車が並び、ペットボトルなので場所取りもされていた。
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車中泊者向けにエコノミー症候群の予防に関する知らせが貼られている。
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避難所になっている校舎の玄関には自治体などから様々な情報が掲示されていた。パソコン等が不足しているため手書きの文字も目立つ。

ちなみに、益城町役場庁舎は被災により使用不能となっており福祉保健センターで業務を再開するものの、「り災証明書」の発行も5/20以降と業務が遅滞し、被災市民の救済業務の機能は大幅に損なわれていた。

益城町総合運動公園のテント村、町全体では5000人以上の被災者が避難所で生活し、車中泊の被災者の数に至っては把握出来てない状況のようだ。今なお、地震の揺れで倒れたままの自動販売機が残る。IMG_0556

 

益城町のテント村に4月30日に設置されたラップポン専用のテント。
これらのテントは、冒険家の野口健氏などの支援活動で設置されているもの。ラップポン設置当日、女性の方々から多くの喜びの声が上がった。
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冒険家、野口健氏。「熊本地震テントプロジェクト」を立上げ、多くのテントの提供や設置、支援物資の呼掛けなどをしておられました。
野口健氏のブログはこちら
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我々も2日目、3日目は宿が満室で探せず車中泊をすることとなる。これがホテルとなったクルマ。トイレと水道のある公園を探し、お互いのイビキと寒さそして寝苦しさにほぼ熟睡できないまま朝を迎える。
ちなみに、4日目は何とか24時間営業のサウナに潜りこんだが、サウナの宿泊客も被災された方が多く、聞こえてくる会話が切なかった。

 

テント村でも子供たちは遊び、笑顔を見せてくれる。
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私たちはわずか4泊5日の手伝いで、これが終われば沖縄へ戻り何事も無い日常に戻れる。だから明日も応援頑張ろう、と思える。しかし被災した方々はいつ終わるか分からないこの現状と不安を抱えたまま、それでもそこで生活をし続けていくのだ。明日の見えないそのつらさや心中は計り知れない。そんな中でも避難所のテントの脇で野球をして遊ぶ子供たちの笑顔はいつもと変らないように見える。時間は掛るかも知れないが、きっと今回被災された方々も平和な日常を取り戻す日が来るのだ。この子供たちの笑顔がそんな風に思わせてくれる。

 

~ 追  記 ~
沖縄県でこの規模の震災が起きたらどうなるか。滞在中、何度もそんなことを考えた。以下、「専門家でない1業者」の独り言として呼んでいただければ幸いである。
物流(人を含む)ルートのひとつ「陸路」が沖縄には無い。県内全域が或いは中心都市が被災した場合ライフラインの復旧は県外からの人的・物的支援に多くを頼らざるを得ない。今回の熊本では、電気は約1週間、ガスは2週間、上下水道が約1ヶ月、携帯電話などの通信関係は約2週間で復旧したことになる。阪神淡路や東北に比べ早いように感じる。これは、地元の行政機関や民間企業の事業継続計画の事前準備の成果でもあるが、滞在中何度も見た他府県からの支援もライフラインの早期復旧に大きく貢献したと感じる。北は北海道から南は沖縄まで公民問わずあらゆる事業者が復旧に当たっていた。
それでは海に囲まれた沖縄はどうか。恐らくこの何倍もの時間が復旧には必要となるのではないか。空港・港湾施設が被災した場合は想像もつかない。
今回、多くの福祉施設や避難所を訪問したが職員の疲労や労働環境の悪化は深刻であった。しかしこれも又、県外からの支援者やボランティアで何とか支えられていた。人的・物的支援をすぐに受け入れることが期待できない島嶼県では、本土の倍以上の計画と準備、そして備蓄が必要だと感じた。

そして防災拠点となる役所や避難所などの建物の耐震化である。今回、熊本では5つの役場が被災し機能が停止した。福祉、医療関係の建物も同様で耐震化の遅れ、不備が表面化した。沖縄とて、防災拠点となる施設の耐震化率は82.3%(H27年度)と全国でも下位に位置し遅れている。
益城町役場は耐震補強したにも関わらず使用不能となっているため、今回のような2度の強震に見舞われた場合は必ずしも万全とは言えないにしても、老朽化した施設の建替えや耐震化は住民の生命財産を守る防災拠点には急務と思われる。

最も大事だと感じたのがやはり我々沖縄県民の防災に対する意識の向上である。台風対策や貯水タンクなど独特の防災感覚はあるものの、自主防災組織率などは全国最下位で、防災に対する意識は県外に比べまだまだ低いというのが現実。「陸続きの迅速な支援」を期待できない離島に住むわれわれ沖縄県民は、自分の生命と財産は自分で守る必要があり、その意識をもっと感じてもらうため、あらゆる場のあらゆる機会に防災に関する情報や啓蒙活動を展開して、県民の意識改革をしていく必要があると感じる。
その活動は私たち民間の業者でも充分出来る活動である。今回のこの体験から感じたことを共有できる場をここ沖縄で広げ、情報を発信していく。それは本当に微力であろうが、今回熊本で頂いた被災者の皆さんからのたくさんの「有難う」に対するお返しにもなるだろう。

 

最後に、今回の応援の申し入れを快く受けて頂きました日本セイフティー株式会社のご担当者様ならびに関係者の皆さまにお礼申し上げます。

 

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